わたし、普段は、普段、後部座席にチャイルドシート二つ載せた
軽自動車に乗っています。
今日、夫が岡崎に行くのに、代わりに運転!
💦💦💦
80キロ以上が踏み込めない
普段の軽だと60キロでも速く感じるもんね💦
冷や汗ものでした^^:
帰りは自然に100キロも大丈夫に☆
名古屋発祥といわれる
卵を敷いたナポリタンを食べました(^▽^)/
岡崎の練習場で、先生のアクロバットなドローンも見る事ができ
感激(^▽^)/
帰りにお勧めのお店へ
次女の家へ、シュークリームを差し入れ!
わたし達は車の中で濃厚たまごプリンを食べました(^▽^)/
hikaちゃ~ん~☆
ぎっくり腰、温めちゃった?💦
わたしが貼ったのをみたからだったら、ごめんねm(__)m
あれは、慢性的な場合で急性期は冷シップよ☆
それからね、わたし、ずっと接骨院に通っていたのよ。
膝を痛めたときも、ぎっくり腰でも何度かね
で、治っていったんだけど、
治らなくなった。
「先生は○○さん(わたし)の場合は、お尻の筋肉が固くなっているだけで
病的なものではないよ」ってずっと言われてたんだけど
整形でMRI撮ってもらったら、レントゲンでは見ることができなかった場所に
脊椎菅狭窄症とヘルニアがあったわーー:
繰り返すようなら、整形で検査もありかも。
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父は生前「エンディングノート」を購入してきてくれ!と言いました。
いろんなタイプのものがあるので、父を連れていき父が購入しました。
で、「延命治療はしない」と言っていましたが
ノートには「家族に任せる」と書いてありました。
(他にはほとんど何も書いてありませんでした)
父は結局、輸血をしないと死んでしまう~という状況に陥り
ただ、輸血をすれば、酸素は必要であっても、普通に近い生活ができました。
緩和ケアや病院では「輸血はもうできない、在宅扱いなら輸血ができる」
と言われました。在宅扱いの「有料老人ホーム」しか
父には行く道がありませんでした。
「輸血って臓器移植と同じと考えてるよ」ってかかりつけ医の先生が
言われました。父は「輸血」をして頂いたおかげで
春まで~?と言われたのが、7月の終わりまで生きる事ができました。
その間にできた事も沢山ありました。
父が亡くなる前の日に、意識をなくしてもうだめなんだろう~って
思った時に、看護師さんが「○○さん!まだ逝ったらいかん!
🍷ワイン飲みたかったんだよね!起きて飲んで!!!」
って言われた時、 確かにそうだったけど、もう仕方がない~って
思っていました。もういいんじゃないかって。
でも、翌日父は目を覚ました。遠方からきた妹にも会えた。
「🍷ワイン買ってきてくれ」って言って意識不明になったのに
とろみをつけた🍷を何口も飲んだ。
挨拶にきてくれた施設の一人一人の方に
「ありがとう~ありがとう~」という事ができた。。そうして明け方
眠るように亡くなりました。
最近読んだ本2冊に(医療系の小説)
死は神様の領域~って書いてあった事が印象深いです。